執着とこだわり

よく、執着とこだわりを手放すと楽になるということは耳にする。

うまくいかないのは執着しているせいだと。

まあ、たしかにそうなんだけどこれを50歳の人がいうのと20歳の人がいいうのではずいぶん違うんじゃないかなと思う。

20歳がこんな仙人みたいなこといってたら「世も末」だと、うっかり思ってしまう。(すんません)20歳くらいのときは多少ギラついてていいし、こだわりも執着ももっていてほしいと思います。これが70歳だと、え? まだそんなに執着しちゃう? となる。

 

うちの母は執着は抜けたかもしれないけどいまだ、コントロールしてこようとはする。「ちゃんと」しているようにみせるため、私があったこともない知らない親戚がなくなったら香典を用意するという。(むりやり払わせることはないけど、私や妹の名前でもだすんだって)勝手にやってるから別になにもいわないけど・・・

 

しかし母は立派だと尊敬することもある。母が今の私の年齢のとき、私はすでに大学を卒業していて社会人(あれ? 就職した会社は1年もしないうちに首になっちゃったし、どうしてたんだっけ?)だった。私は子供を高齢でうんでるので、娘は反抗期中。大学に二人娘送り出し、卒業させ、さあこれからゆっくりするよってときに、父が他界。そして、娘はいなくなり、一人暮らしをしていて、生活すべてをまかなっていて(仕送りはしていない。正月とかお世話になるときに現金を渡すことはあるけどそれだけ。逆に娘に(私の母からみたら孫)もらっている。そのおひとりでも元気でやっていける、最低限のお金と、元気でいる健康、そしてそんなに毎日連絡してくるわけでもない。

 

私、母のようにできるんだろうか? と思うといまいち自信がない。

家もマネージできていなくて、くちゃくちゃだし。

 

(母と自分くらべてどうするつもりなのだろう)

 

来週は、セッション予約とるのがめっちゃたいへんなセラピストさんの予約。

私は何を解決したくて何が望みなのかちゃんと話せるだろうか。

とにかくやりたいことは、父をちゃんと見おくれていないので、「喪の儀式」をやりたい。

すっきりしたい。25年も前になくなった父のことを封印しているから、死んじゃった父にいろいろいってやりたいし、ちゃんとお別れをしたい。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です