境界の話

私は境界があいまいです。

香りの仕事をしているけど、この香りが好きじゃないといわれると、私が栽培したり蒸留したりしたわけでないのにとても悲しくなります。自分を否定されたみたいに感じる。

これだけで、境界があいまいなのがわかると思います。香りは人の好みに直結するので、好きOR嫌いがでるのがいいところなのに、嫌いだといわれる(その嫌いの言い方にもよるかも)と悲しくなる。

苦手なにおいが私にもないわけではないのだけど。(夫が汗かいたあと、汗拭きとるあのシートのにおいは本当に嫌だ。車なんかだと拷問かな?と思う。あの鼻にまとわりつくのがいやだ???)

 

なので、私の境界があいまいなので、ずかずか入られて荒らされるけど、逆のことを私がしているということもあるので、どうしてこうなったのかな? と考えた。

 

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心理的な意味合いで境界があいまいな場合、主に以下のような理由が考えられます。

1. アイデンティティの不確かさ: 個人が自己アイデンティティを確立する際、自分自身や他者からの期待、社会的な役割、文化的背景など、さまざまな要因が影響を与えます。これらの要因が複雑に絡み合い、個人のアイデンティティが明確でなくなることがあります。その結果、自己認識が曖昧になり、境界があいまいになることがあります。

2. 価値観と信念の衝突: 個人や集団が異なる価値観や信念を持つ場合、境界があいまいになることがあります。人々は自分自身や他者との関係、社会的な役割、道徳的な規範などを考える際、異なる価値観や信念を調整しなければならないことがあり、その結果、境界が不明確になることがあります。

3. 感情的な複雑さ: 感情はしばしば複雑で相反する要素から成り立っています。たとえば、愛と怒り、喜びと悲しみ、自己愛と他者への思いやりなど、相反する感情が同時に存在することがあります。これらの感情が境界をあいまいにし、個人の感情や行動に影響を与えることがあります。

4. ダイバーシティとインクルージョン: 社会が多様性を受け入れ、異なるバックグラウンドや文化を尊重する価値を強調する場合、境界があいまいになることがあります。これは、異なる文化や価値観との接点が増え、個人や社会全体が柔軟性を持つことを奨励する結果として現れることがあります。

心理的な境界のあいまいさは、個人の成長、自己理解、他者との関係に影響を与えることがあります。これは、自己探求やコミュニケーションの重要な要素であり、人間関係や社会的な課題を理解するためにも考慮すべき要因です。また、心理学やカウンセリングの領域では、境界のあいまいさに焦点を当てた研究やアプローチも存在します。

 

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親にダメだといわれたことを、硬くなに守っていたのに、妹にはダメといわなかったという場面に遭遇した

とか

ダブルバインドで、締め付けられていた

とか

よかれと思ってしたことを頭ごなしに否定された

とか

歌が大好きで、よく歌っていたのだけど親にへたくそだの音痴だのさんざん言われて歌うのが嫌になった

とか

 

考えられる要因はいろいろあるのだけど、共通していることは「我慢」「抑圧」。

そして、自分の感じたことを外に表現できない(怖い)とか、そういうことが起きていた。

 

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昨日、ちょっとしたWEBの罠にかかり、ドコモに電話し、5回たらいまわしにされ時間だけつかって私の言い分は聞き入れられず、あちらのルールを押し付けられたのだけど、電話中、こういわれたのが腹が立った。「いろいろおっしゃっていただいてありがとうございます。ここは受付なので、今の話の内容を関係部署に転送しますのでもう一度説明してください」と。マジむかつく。中指たててたよ。あたしゃ。

 

それと話しがずれにずれているけど、転送をまっているあいだ、へんな音楽聞かされるけど、こっちでしゃべってること全部相手に聞こえてるからきをつけたほうがいい。私が近くにいた夫に事の次第を説明していたら「お話し中すみません」ってさえぎってきたからね。聞こえてないていで思い切り聞こえてる。

 

 

 

 

 

 

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