次々現れる敵は自分が作り出しているということ

私には定期的に自己愛性人格障害と思われる人物がやってくる。糸口はたいてい仕事のことで私がこういう仕事をあなたに発注すると、あなたにはいいことがある、という具合に。

断れない感じで。

そう。私は大好きなことを仕事にしていて、その仕事を利用して自己愛が私を支配下に置こうとする。実際おくし、私はその人たちの下にもぐろうとする。こうやって私はお役にたてる存在ですよ、ということを一生懸命アピールする。

(本当は、この人たちが大口たたいてくる仕事の案件は本当にそんなことあるのかしらレベルなんだけど、そのときは、必死で私は仕事をする。お金も払ってもらえない、搾取されるだけされる。時間だけむさぼりとられる)

あるときすごく苦しいということに気が付く。あれ? 私これがやりたいことだったんだろうか? と気が付く。そうじゃない。相手に気に入られようと、嫌われないようにしようと必死で努力をしている。何のため? 自分に問いかける。すごく苦しい。胸がくるしい。どこからくるのか???

 

私は無価値観を感じたくないがために必死で戦っていて、認めてください、無価値ではありません、といって頑張る。異様に頑張る。で、相手が思ったような結果がでないと(本当は最初からそれが目的だったと思う)相手はドンガラガッシャンと器をひっくり返す。

私は自分ので器をひっくり返されるように仕向けているところがあるかもしれない。

きっとそうなんだと思う。

自己愛の人は私みたいな利用しやすそうなのが大好物なので、おそるべく嗅覚で近寄ってくる。

そして心理セッションうけたときに、あなたは自分があるようで自分がないところがあると指摘された。そう、ここで本当に嫌だと思ったら立ち去ればいいのに、我慢する。だから相手のいいなりになってしまう。いやだと思っても言い返さない。我慢する。だから支配下に置かれる。

そしていろいろなことをいって、私の時間、お金、人脈を搾取する。ほら。私だって価値ある人だから、こういうのをあなたに提供できるんですよ、そういって私は頑張る。悲しいくらいに。

 

ある友人は別の言葉でいった。いつも人に頼られるよね、と。確かにそう。

それは、頼られる環境を自分でつくっているから。私は無価値ではないので、コンタクトとりたい人物だよね? という延長上にこの嫌な現実を受け入れていた。

うつ病と診断されてどこにもいくことができなくなった友人がうちにいつまでもいて大音量で音楽かける。わたしは仕事している。うるさいしうざったいから帰ってくれないかなと思うのに、言えない。だからストレスだけ異様にたまる。また、べつのうつ病。(この世はうつ病だらけかね?)長電話。こっちは手を動かし作業しながら話半分で電話をきいている。ふーん、ふーーん、そうなんだ、大変だね、みたいな。

こんなことして30代は風のようにすぎていった。

40代は自己愛と境界性に絡まれた。

 

おかげ様で、今は自己愛に絡まれることもなく、うつ病からの呪いの電話もない。ヨカッタ。

 

 

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